弱くなった日本企業、元気な韓国企業

                                          尹 大栄(DAEYOUNG YOON

 最近、海外を歩いていて気になることがある。
 アジアでも、ヨーロッパでも、日本企業のプレゼンスの低落ぶりが著しい反面、韓国企業が大変元気である。
 街の広告看板や現地の人々の使用する製品の多くが、かつてはmade in Japanが溢れていたのに、最近はmade in Koreaに
取って代われている。
 

日本企業はなぜ弱くなったのか

アメリカの著名なジャーナリスト、デイビッド・ハルバースタム氏(David Halberstam)は彼の著書『覇者の驕り』(日本放送出版協会、1987年)の中で、アメリカの自動車産業が日本との競争に敗れたのは、「自動車の大量生産ができる国はアメリカ以外にあるわけがない」、「豊かさに自己満足し、自分たちこそ最強だ」という驕りにどっぷり浸り、変革を怠ったことにその原因があると分析している。

覇者の驕りが敗因となったもう一つの歴史的な逆転がある。1989年の夏と記憶しているが、神戸大学経営学部のセミナーに招かれた日本のある大手半導体メーカーのトップが「最近、韓国で細々と半導体を作り始めている財閥系企業(三星電子)があるが、あれは取る足らない」とコメントしていたことを、私は印象深く覚えている。まるで韓国企業などは競争相手にもならないと言わんばかりの発言だった。「もうアメリカから学ぶものは何もない」と公言してはばからない日本企業の経営者がいたのも、この時期だった。しかし、その後、半導体(DRAM)市場を日本企業が取るに足らないとしか見ていなかった韓国企業に明け渡すことになるには5年もかかっていない(93年以降、三星電子が世界1位)。いまから考えると、日本企業も自分たちの競争力に驕り高ぶりすぎていたのである。

90年代前半まで半導体分野を席巻していたのは日本企業であったが、いまは韓国企業に市場を奪われ、世界の半導体市場を制覇していた当時の日本企業の強さは見る影もない。日本企業の競争力低下は液晶テレビや携帯電話、鉄鋼、造船などにも見られる。最近は自動車産業もかつての競争力が維持できなくなっている。これらの産業分野は日本企業が最も得意としていただけに、問題は深刻である。何よりも、以前の日本企業には技術的な優位性はもちろん、韓国や台湾の企業などに負けてたまるかというプライドがあったし、リスクにかけても競争に戦い抜くという強い姿勢を持っていたと思う。人々は闘争心に燃え、「時短」が社会的なイシューになるほど長時間労働をいとわず勤勉に働き、豊かさを求めるハングリー精神に満ちていた。

しかし最近の日本企業は、韓国企業には負けても仕方ないという諦めのムードにつつまれている。もはや韓国企業にふと打ちできないとでも思っているような、すっかり元気を失っているように見える。「企業戦士」という日本語は、もはや死語なのだろうか。

日本企業から元気が失われたのがだれの目にもはっきりしたのは、バブル崩壊後である。バブル崩壊によって失ったのは資産価値だけではなかったのである。それまで日本企業の経営を支えてきた人々の気持ちというが、経営に対する基本的な姿勢、精神、あるいは規範とも呼ぶことができる「経営のエートス」が失われてしまったように思えてならない。企業にとってリスクを回避することほどリスキーなことはないはずなのに、リスクをかけて積極的に挑戦しようとする姿勢が見られなくなり、頑張ってもあまり成果(利益)が得られそうにない分野(市場)からは早々と撤退する「合理的な判断」が重視されるようになっている。

バブル崩壊後に行われた制度改革、とりわけガバナンス制度の誤った改革も日本企業から活力を奪った原因だと、私は考えている。株主代表訴訟を起こしやすくした商法の改正、経営者の説明責任の強調、四半期決算制度、内部統制強化などの制度改革は、放漫な投資を抑制し経営の透明さ・健全さを確保するようにはなったかもしれないが、リスクが伴っても企業の発展と競争力強化に必要な投資が回避されるという、意図せざる悪影響をもたらした。善管注意義務の違反を問われる株主代表訴訟を気にするあまり、リスクを伴う意思決定が抑制され、株主ならびに関係者に説明できるような平凡な意思決定しかできなくなった。皆がわかる(納得できる)ように説明できる意思決定からは、大きな成果は期待できない。ハイ・リターン(大きな成果)はハイ・リスクをかけてこそ手にできるものだからである。ハイ・リスクな意思決定の論拠を人々に納得させることはなかなか難しい。バブル期の前後に発生した企業の不祥事を防ぐために行われた前述のガバナンス制度改革は、意図せざる結果として、日本企業から元気を奪う原因となったのである。

 

韓国企業はなぜ元気なのか

韓国企業が得意とするのは、不況のときに、他の企業が投資を減らすのとは逆に、これと思う特定製品(事業)分野、市場(進出地域)に対してはきわめて大規模な資源投入を伴う積極的な投資をライバルに先行して実行し、景気が上向いたときに一気にシェアを拡大していくという、いわゆる「逆張り経営」である。技術の進歩が速く、好不況の振幅が大きい半導体、液晶テレビ、携帯電話などの産業分野で韓国企業が強いのは、景気回復の遅れによる膨大な赤字発生のリスクにもかかわらず、一旦決めた投資は景気の動向にぶれずにきっちりと実行してきたからである。不況で日本企業が投資を控えた際に一貫して大型投資を断行することで、日本企業が世界市場を席巻していたDRAM分野で一気にシェアを奪い取ったことはあまりにも有名である。かつて不況のときも積極的な設備投資をして世界市場を先占したのは日本企業だったはずなのに、いまは韓国企業が得意とする勝ちパターンとなっている。

韓国企業の「リスクのテイクとスピード経営」を可能にしている要因は何だろうか。「不確実性の多い際に大胆で、かつ迅速な意思決定」が三星電子(韓国企業)を成功に導いた要因だといわれている。しかし問題は、なぜ三星電子はこのような意思決定ができるのか、という点であろう。私は、韓国企業がリスクテイクの意思決定ができているのは、判断の段階での合理性(「事前合理性」)よりも、むしろ先に意思決定(判断)をしてしまい、あとからその意思決定の合理性を粘り強く確保していくスタイルをとっているからではないか、と見ている。つまり、韓国企業は「事後合理性」(結果としての合理性)をより重視する意思決定を行っているのである。事前に理屈が成り立つ意思決定は他の競争相手もするだろうから、その意思決定による成功のパイは限られる。しかし、事前の理屈が成り立たず、成功する確率が低いと思われる場合はだれもそのようなリスクの高い意思決定は避けるだろうから、あとから合理性を確保できれば、成功を独り占めすることができる。後発者としての韓国企業がグローバル・プレーヤーとして飛躍するためには、大きな成功を勝ち取ることが必要だった。大きな成功は事前合理性を重視する意思決定からは得られない。肝のすわった、大胆な投資を行い、成功を手にするまで執念深く事後合理性を追求していく、というのが韓国企業の特徴であり、強さである。

環境(例えば、技術進歩)の変化の激しい分野においては、事前合理性を重視すると、必要な投資のタイミングを失う危険性がある。あるいは、石橋をたたいているうちにいよいよ不安になってしまい、結局、橋を渡れなくなってしまうような状況を招きかねない。バブル崩壊後、日本企業に事前合理性を重視する傾向が顕著に見られ、積極的にリスクに挑戦しようとする姿勢が弱くなってしまった。日本企業のリスク耐性の劣化は、経営のエートスの弱体化や誤ったガバナンス制度改革が大きく影響していることは、前述したとおりである。

韓国企業が、一歩間違えると、大規模な投資を伴うだけに、無茶な判断というそしりを免れない意思決定を行っているのは、グローバル市場での競争に勝ち抜いていかなければ生き残れない、という強い危機感を持っているからである。1997年に発生したアジア通貨危機は、韓国企業にとって一つのターニングポイントになった。それまでの「大馬不死」(大企業はつぶれない)の神話がもろく崩れ、生き残るためには「妻と子供以外はすべて変える」ことを韓国企業は迫られたのである。この通貨危機のときに韓国企業に刷り込まれた危機感が、事前合理性を慎重に探るよりも、リスクにかけてもライバルに先行して意思決定を行い、後から合理性を懸命に追求していく、という企業行動のてこになっている。

しかし、覇者には驕りがでるものである。韓国企業が自分たちを覇者だと意識しはじめた時に、韓国企業が日本企業の轍を踏まないとはだれも断言できない。最近、「日本企業からは学ぶものはない」といったニュアンスの論調が韓国のマスコミに散見される。「歴史は繰り返される」のでは、と気になる。