静岡県は、東北地域などに比べれば、日本酒不毛の地である。温暖な気候の土地で、米どころでもなく、日本酒造りには適していない地域である。秋田や新潟、山形などの地域に比べると、酒どころとしての知名度は格段に低い、というのが大方の「常識」ではないだろうか。実際、80年代以前は品質的にも、量的(生産規模)にも静岡県は日本酒の後進地域であった。しかし最近は、静岡県の酒は「幻の酒」として人気が高く、ネットオークションでは店頭販売価額の十数倍の値段が付くほどの人気ぶりである。一般消費者のみならず、日本酒の専門家たちによる審査会でも静岡県の酒の評価は高い。

静岡県の酒造産業の特徴としては、全出荷量に占める「特定名称酒」(吟醸酒などの高級酒)の比率が非常に高い(9割前後)ことである。全国平均の3倍以上の高い比率といわれている。県全体の出荷量は年々減っていく中で、「特定名称酒」の出荷量は拡大を続けている。他地域に比べて個々のメーカーの規模は小さいものの、高付加価値の製品分野に特化し、質的な競争力を確保している。

本研究の目的は、以前は灘・伏見の大手メーカーに「桶売り」をする下請け的な酒造りしかできなかった静岡県の酒造業界が現在のような競争力を築くことができた要因を明らかにすることで、衰退・低迷している多くの地域(地場)産業の活性化、あるいは変革に必要な要因を探ることである。

本研究では、関連文献や資料のレビューに加え、静岡県内の主な酒蔵をはじめ、関係団体(酒造組合など)に対する聞き取り調査を実施し、以下の点が静岡県の酒造産業の成功要因であることを明らかにした。

1.業界レベルの戦略が存在したこと;高付加価値化地域ブランド化

“「桶売り」の酒作りから、少量でも高品質の酒(特定名称酒)を目指す”、“鑑評会での大量入賞を通じて静岡県の酒は美味しいというイメージを確立する”、という戦略的な方向展開が業界をあげて行われた。酒蔵の小規模性、酒作りに適しない温暖な気候、米どころではない、といった不利な状況(弱み)を、特定名称酒の高級酒セグメントへの特化、酒蔵の冷蔵化、最上級(特A地域)の酒米の選別購入、といった強みに変えることができたのは、「戦略」があったからである。業界変革には、産業政策ではなく、「戦略」が必要である。

2.イノベーションが存在したこと;技術的なイノベーション販売のイノベーション

 静岡県の酒蔵が1986年の全国鑑評会に大量入賞したのは、静岡県工業技術センターで開発された醸造酵母「静岡酵母」を使ったことが要因だといわれている。「静岡酵母」が伝統的名声を誇る地域(秋田、新潟、山形など)を押しのけて静岡県の酒を一躍有名にしたことで、酵母開発が他県にも広がり、やがて全国に吟醸ブームを巻き起こすことにつながる。そして、問屋を介さず、選別した専門小売店を通じた販売の仕組みも、マーケティングの面で重要なイノベーションであった。

3.変革型リーダーが存在したこと

業界に変革をもたらすリーダーはいくつもの役割(戦略家、イノベーター、運動家)を演じているように見受けられる(「役割の多重性」)。「静岡酵母」開発者の河村傳衛氏(当時、静岡県工業技術センターの主任研究員)は、(大)吟醸酒セグメントへの特化による差別化を粘り強く業界関係者に働きかけるとともに、各酒蔵を毎日のように巡回しては酒造りの指導を熱心に行ったことで知られている。このような業界(地域)リーダーをどう育成し、確保すべきか。地域(地場)産業の再生や変革に欠かせない重要課題である。







静岡県の清酒産業