パルマのレストラン、リゴレット

◆リゴレットと意思決定の非合理性―白井さん(OB院生)の意思決定―

 エミリア=ロマーニャ州のパルマ(Parma)は、オペラ「リゴレット」(Rigoletto)の作曲家ヴェルディの生まれた街として知られているが、日本では中田英寿がこの街のサッカーチーム《ACパルマ》で活躍したことでさらに話題を集めたところでもある。
 しかし何といっても、パルマはハムの美味しい街である。イタリアはどこでもうまいハムが楽しめるが、ここパルマはずば抜けて美味しい!この街に行くと、私はひたすらハムだけに集中し、ほかの料理には浮気しないことにしている。キーンと冷えたドライなスプマンテ(Spumante)を片手に、ほどよく冷たいメロンをハムで包んでやるのである。日本人は刺身とワサビの組み合わせを考え出したが、メロンとハムを組み合わせたイタリア人の味覚センスもなかなかのものである。(ちなみに韓国のキムチの恋人は豚肉だヨ。)
 

 このパルマに行くと、必ず立ち寄るレストランがある。ヴェルディのオペラ「リゴレット」(Rigoletto)の名前にちなんだレストランTrattoria Rigolettoである。可愛い奥さんが素晴らしい味の料理を作り、間違っても喧嘩の相手には絶対したくない巨漢のご主人(しかし心の優しい、涙もろいカワイイ男である)がその体からは想像もできない敏捷な身のこなし方で接客をしている姿はまさに芸術的で、じつに雰囲気のよいレストランである。

 はじめてこの街に立ち寄ったとき、ホテルのフロントで「いいレストランはどこだ?」と訊いて訪ねて行ったのが、このレストランTrattoria Rigolettoである。「美味しいハムを求めて日本から来た。パルマとあなたの店の名誉に相応しい別品を頼むぞ」と店のご主人を脅して出してもらったのが、上の写真のハムの盛り合わせである。

 ハムを夢中になって貪っているときだった。突然店内の照明が真っ暗となったかと思いきや、一本の線香の花火の火玉がはじけるケーキを手にしたご主人が闇からむっくりと現れ、ちょうど私たちの後ろに座っていた老夫婦の席にそのケーキを置いたのである。老夫婦は感動のあまり、老婦人のほうは涙を流していた。

 その様子を見ていた店の客たちが事前に打ち合わせたかのように一斉に拍手を送り、何かの記念日を迎えたに違いない二人の老人を暖かく祝福したのは言うまでもない。まもなくわかったのだが、その老夫婦は店のご主人のご両親で、その日が誕生日だったのである。

 カメラの好きな私は、店が突然暗くなった瞬間に「動物的な感」が働き、とっさに鞄からデジカメを取り出してそのときの様子を何枚か写真と動画に収めた。店のご主人にその写真と動画を見せたら大変喜び、「ぜひあとで送ってくれ」と頼まれたので、日本に帰国後、CDに写真と動画を焼いて国際郵便で彼に送ってあげた。後に彼から感謝のメールが届き、「またパルマに来ることがあったら是非自分の店に立ち寄ってほしい」とのことであった。

 それから、約2年後。アルプスに連なるDolomiti山脈の麓にあるBelluno(イタリアの眼鏡産地)での研究調査(院生の加藤さん、OB院生の白井さん、松本先生[法政大学]と同行)を終え、あのクマさんのような巨躯のTrattoria Rigolettoのご主人の顔が懐かしくなり(本当はパルマハムが食べたくて)、一同車をぶっ飛ばしてパルマに向かった。

 Trattoria Rigolettoでわれら一同は「!」と同時に「。」まで打ちたくなるような素晴らしい味のパルマハムを満喫し、非凡かつ正常な時間を大いに楽しんだ。全身をあげて酔うことができ、そのときの至福の時間をいまでも傷一つなくありありと思い出すことができる。

 またの再会を誓いながら別れるとき、ご主人が「わざわざ遠路はるばる来てくれたお礼に」と、何とワイン3本をくれたのである。店の名前(Rigoletto)が瓶のラベルに書いてあるワインで、言ってみれば、世界でこの店でしか手に入らない「超レア(稀少)ワイン」ということになる。(中身はテーブルワイン級のものではあったが---)

 問題は、空港で発生した。
 せっかくイタリアに来たんだからと、皆さん、あれこれとお土産をたくさん買い込みすぎ、全員の荷物が重量オーバーしたのである。仕方なく、各人、古い服やあちこちでもらってきたパンフレット類(街の案内冊子や博物館のパンフほか)を捨てるなど、可能な限り荷物を軽くしようと頑張ったものの、どうしても許容量(25Kg)に収まらなかったのである。

 そこで、優先順位から考えて何を諦めるべきか、という議論となり、私は「(Trattoria Rigolettoでもらった)ワインは重たいし、機内に持ち込もうにも液体類は搬入禁止で無理。それこそ買おうと思えば空港のワインショップで1000円くらいで買える。ワインを諦めよう」と言った。「Trattoria Rigolettoのご主人には申し訳ないけど、想定外の緊急事態発生です。仕方ありません」と説得にかかったが、白井さんが粘るのである。「せっかくの頂き物です。日本で待っているユンゼミ生にお土産として何が何でも持っていくべきです」と、一歩も引かないのである。岩のように動かないのである。「どうしてもワインを捨てるのなら自分も置いて行け」といわんばかりである。白井さんの気迫にわれらは息を呑んだ。

 そういえば、2年前の大学院ゼミ生の追い出しコンパのときに白井さんが持ってきてくださったシャンパンDom Perignon(85’)を思い出す。昔知り合いからプレゼントされたものだが、自分は飲まないので差し入れ物として持って来たと平然とおっしゃっるのだが、しかし85年ヴィンテージのドンペリですぞ!すぐさまネットで調べてみると、何と20万円の値段で売られていることが判明し、ゼミ生皆は驚愕しつつ、1杯2万円相当のシャンパンを夢心地で飲み干したものである。もともと太っ腹の白井さんだったわけである。

 結局、たかだか3000円ほどのワインを日本に持っていくために250ユーロ(約4万円)のオーバーチャージを支払う羽目になったが、ユンゼミコンパのときに飲んだあのワインの味は4万円のワインの味に引けをとらない、一滴の光を感じさせてくれる素晴らしいワインであった。恐るべし白井さんなのだ。

 経営学や経済学では、長い間、人間は合理的に振舞う存在としてとらえていた。「限定された合理性」(Simon,1987)とは言え、あくまでも人間の合理的な判断が意思決定の前提になると仮定されてきたのである。しかしその後の研究で、人間の非合理性に加え、意思決定プロセスに潜むさまざまな罠やバイアスの介在によって冷徹な計算に基づいた合理的な意思決定の追求はなかなか困難であることが明らかとなった。重大な意思決定(cf.,臓器のドネーション行動や終身雇用が当たり前だった時代の転職行動)ほどあまり考えずにあっさりと決めたり、泥沼にはまったことを認識しながらもますますその意思決定にコミットしていくという「意思決定のエスカレーション現象」などは、非合理的な意思決定の典型である。

 合理的な計算に基づいて考えるのであれば、3000円のワインのために4万円の追加料金を払うという行為は非合理な判断としか言いようがあるまい。しかし、白井さんがあの非合理的な意思決定をしてくれたおかげで、一つの「伝説」がユンゼミで語り継がれていくことになったし、何よりもTrattoria Rigolettoのご主人のワインが無駄に捨てられることなく、われらユンゼミ生たちの血となり、楽しい思い出として永遠に残すことができたのである。白井さんに感謝、感謝である。


  ※関連研究
   ・標準的(規範的)な意思決定モデルについては、
     Simon.H.A『意思決定と合理性』文眞堂、1987年。
   ・重大な意思決定に直面した人の意思決定については、
     尹大栄『転職の意思決定過程の研究』(博士学位論文;神戸大学)、1993年。
   ・意思決定のバイアスについては、
     長瀬勝彦「意思決定マネジメント」『一橋ビジネスレビュー』、2005年52巻4号より連載。