(フィールド・ノート)

 

スペインの協同組合の町、モンドラゴン(Mondragon)への道

                                     尹 大栄(Daeyoung YOON 


昨年の3月、久しぶりにバスク地方を訪ねた。

パリでの用事を済ませ、レンタカーを走らせてボルドーのサン・テミリオン(Saint-Emilion)、フォアグラの産地として有名なペリグー((Perigueux)などを経由し、スペインのサン・セバスチャン(San Sebastian)まで行き、そこを橋頭堡にしてゲルニカ(Gernika)やビルバオ(Bilbao)などを車で訪ね回った。

今回の旅の目的は、ピンチョス[1]の発祥地であるサン・セバスチャンのバル(BAR)を完全制覇すること、そしてスペイン協同組合MCC[2]の本拠地、モンドラゴン(Mondragon)の町を訪問すること、である。毎日、昼夜お構いなしに、「命の水」の澄明な滴に誘われるままハシゴをしながらサン・セバスチャンのバルを攻め回ったが、その武勇談については別の機会に報告することにし、ここではかねてから関心を寄せていたスペイン協同組合MCCの町、モンドラゴンを見学した感想について報告したい。

モンドラゴン(Mondragon[3]とは、「竜の(住む)山」という意味である。地名にふさわしく、モンドラゴンの町はドラゴンがどこかに隠れていそうな岩山に囲まれた静かな田舎の町である。周りには山のほかには何もない、ゴヤの絵に出てくるような荒々しい岩山だけがそびえている、じつに小さな町である。総資産約4兆6千億円[4]のスペインを代表する大企業MCCだが、首都のマドッリドではなく、田舎の山間にあるこの小さい町に本部(本社)をかまえている。本社は何が何でも都(首都)に、と拘るどこかの国の企業とは、まるで違うのである。

スペイン最大の家電メーカーFAGORや大型スーパーEROSKI、金融機関CAJA LABOALなどを傘下に持つ巨大企業グループに成長したMCCが産声を上げたのは、いまから約半世紀前である。スペイン内戦(1936年〜39年)のとき、ゲルニカ空爆の悲劇はあまりにも有名であるが、バスク地方の多くの地域が戦禍を被り、モンドラゴンの町も深刻な打撃を受けた。

1941年、すっかり疲弊したモンドラゴンに一人の若き神父が赴任する。現在のMCCの出発点となったULGORFAGORの前身)設立の立役者、ホセ・マリア・アリスメンディアリエタ(Jose Maria Arizmendiarreta)神父[5]である。荒廃した町を復興させるためには若者に教育の機会を与えることが重要と考えた神父は、1943年に技術系の夜間学校を設立し、13年後、その専門学校の卒業生5人が石油ストーブとコンロの生産を開始した。MCCの最初の製品である。若き神父が蒔いた種は大きく実り、内戦で荒廃したバスク地域に復興をもたらし、現在はスペインを代表する巨大企業に発展した。

MCCが注目を集めているのは、その輝かしい成功物語でも、多岐にわたる事業活動や企業規模でもない。労働者による民主的な運営(経営管理)体制でも十分経済的発展が可能であることを証明した数少ないケースだからであろう。要するに、MCCは「理念」と「効率」の両立を見事に実現してきているのである。

経営学は、「効率」の理論を探求する学問分野である。『科学的管理法』のテイラーが(F.W.Taylor)が「経営学の父」と呼ばれていることからも、いかにしたら能率(効率)を高めることができるかを経営学は一所懸命に追求してきたのである。理想的なスローガンや抽象論に満ちた哲学としての「理念」は、経営学理論の対象になることはなかった。

しかし、「効率」の論理をとことん追求していくと、かえって非効率的な状態に陥ってしまうことは、昨年のリーマンショックに典型的に表れている。一方、「理念」をとことん追求していくとどうなるかは、ソ連の崩壊が証明済みである。ロシアの民主化を実現したのは社会主義のイデオロギー(理念)ではなく、経済的な豊かさ(効率)の力だった。

「理念」と「効率」はトレードオフ関係にある、というのが一般常識であろう。一方を重んじると、他方が疎かになってしまうのは、われわれが日常的に経験することである。「理念」に偏って破綻した組織の例は枚挙にいとまがないし、行き過ぎた「効率」優先はしばしばおぞましい悲劇を生む[6]。ところが、MCCはこのトレードオフ関係の呪縛から自由であるかに見える。半世紀以上にわたって協同組合の「理念」をしっかり守りながら、グローバル市場での競争に怯むとることなく、良好な利益(効率)を確保しているからである。

MCCがどのようにして「理念」と「効率」のトレードオフ関係を克服してきたのか、経営学者としては大変興味を引かれる現象である。もしこの研究テーマに取り組むとしたら、どのような視点なり切り口が考えられるのだろうか。新しい大発見や持続的な成功の鍵は、往々にして、その常識に逆らう試みや発想に隠されているものである。MCCは何かわれわれの常識を逆なでするような方策を講じてきたのだろうか。

この謎を解くには、世界のカトリック教会の総本山として千数百年も存続してきたローマ・バチカンがヒントになるかもしれない。バチカンは、世界でもっとも歴史の長い「宗教組織」である。しかし「宗教」(理念)だけで千数百年も存続できたはずがない[7]。宗教活動を経済的に支える活動、つまり「経営」(効率)の営みが背後に存在するはずである[8]。「理念」(宗教)と「効率」(経営)の同居こそバチカンの長寿要因ではないだろうか。「理念」と「効率」は必ずしもトレードオフ関係にあるわけではないのかもしれない。

最近、日本でにわかに「社会起業家」(ソーシャル・アントレプレナー)が注目され始めているが、スペインではすでに半世紀以上も前にモンドランゴンにおいてホセ・マリア・アリスメンディアリエタ神父が実践していた。その若き神父は、「理念」(宗教)を実践することを使命としながらも、「効率」(経営)についてもバチカンで修行を積んだのだろうか。

ウェーバー(M.Weber)は、資本主義を成立させたのは、経済合理性(効率)ではなく、宗教に支えられた倫理観(理念)であると論じたが、「効率」確保にはむしろ「理念」が必要だという意味としても解釈でき、宗教と経営の関係についていよいよ考えさせられるばかりである。

本研究科では、「ソーシャル・イノベーション」の博士課程新設に向けて、現在準備を進めているところである。当該地域が抱えている社会問題(cf.,貧困、福祉、環境問題など)をマネジメントの手法を用いて解決できる人材(社会起業家)養成が、新設博士課程のミッションである。ただ、社会起業は、学問(の対象)ではなく、多分に一種の社会運動だと、私は思う。ソーシャル・イノベーションの実現には、知識よりも、正気をきわめた狂気(情熱)こそ必要である。理論よりも、実践なのだ。「虚」(理論)の世界に住むわれわれの大学教員が、「実」の世界で社会運動を盛り上げていける「運動家」をいかに育成するのか。大きなチャレンジである。

このようなマジメなことをモンドラゴンの丘で同行したK先生と議論したのだが、気がついたら今晩はどのバルに出撃するかという、これまたマジメな話にいつの間にか議論は移っていった。



[1] スペインのバル(BAR)の名物である各種“御つまみ”の小料理

[2] Mondragon Corporacion Cooperativa(モンドラゴン協同組合企業体)

[3] Mondragonは、フランス語表記である。バスク名ではArrasate

[4] 2007年現在の数値。ちなみに、資本金は約7千億円、総売上高は約2千億円、純利益は約1千億円の事業規模である。

[5] 1915年生まれ(1976年没)

[6] cf.,米国産牛肉のBSEの問題

[7] バチカンには、人々を神に導く聖職者と、その宗教活動を円滑に行うために必要な財政管理や組織運営を行うマネージャーの2種類の人間がいる。塩野七海(2001)、『神の代理人』(新潮社)参照

[8] イスラム教は「理念」(宗教)の原理主義的な面が強すぎたかもしれない。M.ロダンソン(1998)、『イスラームと資本主義』(岩波書店)〔原著は1966年〕参照